リトアニアの十字架の丘、5万以上もの十字架

Hill of Crosses 

「十字架の丘」に行く予定にしている方は、バスでシャウレイという街へと向かうのが一番、分かりやすく行ける方法だと思います。

 バスでRiga よりSiaulaiへ

Photo by:farwater.eu
2001年に『リトアニアの十字架の手工芸とその象徴』の一つとして無形文化遺産に指定されました。

リトアニアの観光地の1つとなっている十字架の丘(リトアニア語: Kryžių kalnas)は、リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する巡礼地。

その発祥は分かっていないが、初めてここに十字架が建てられたのは1831年のロシアに対する11月蜂起の後であると考えられている。



1795年の第3次ポーランド分割で、リトアニアはロシア帝国の領土下に置かれることとなった。ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起を起こしたが、いずれも失敗に終わる。これら2つの蜂起はこの十字架の丘の始まりに関係している。反乱兵の家族が、彼らの遺体のかわりに十字架を丘に建てたのである。



数世紀を経て、十字架だけでなくイエスの受難像やリトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、肖像画、ロザリオなどもカトリック教会の巡礼者によって置かれるようになった。十字架の正確な数は分かっていないが、約50,000であろうと推測されている。

十字架が毎年誰が言うのでもなくその数が年々増え続けているそうです。



リトアニアの十字架の丘、5万以上もの十字架

 Number of crosses
1900    130
1902    155
1922    50
1938    Over 400
1961    Destroyed 5,000
1975    Destroyed 1,200
1990    Some 55,000
2006    Over 100,000

All content is copyrighted © 2011. UAB ‘VilNews’.

リトアニア最大のニュースサイト
http://vilnews.com/






No comments

Powered by Blogger.